一乗谷朝倉氏遺跡訪問
(2025/5/29撮影)
7年前福井を訪問した。このとき一乗谷に行こうかと思ったが、結局恐竜博物館へ行ってしまった。日程の関係で両方を見ることができず、そのときからずっと気になっていた。今回最初に思いついたのが一乗谷と奈良井宿だ。そこから彦根城や安土城跡へと広がっていったわけだ。やっと願望がかなったわけだが、想像以上に良いところだった。派手なお城や石垣もない、建物も残っていない一見どこにでもあるような盆地のような地形だが、ゆっくり歩いてみると実におもしろい。昔に思いをはせながら散策してみた。ぜひご覧ください。
一乗谷ということで狭い谷を想像していたが、山に囲まれた盆地のような地形で思っていたより広い。
朝倉館跡の唐門が見えてきた。
館跡の入口にある唐門、豊臣秀吉が朝倉家の菩提を弔うために寄進したといわれている。
館跡の三方は濠と土塁で囲まれている。
内部からも唐門を撮っておく。何もないところに門だけが残っている感じだ。
朝倉義景墓所。天正4年(1576年)村民の建てた小祠が始まりという。
周囲には囲むように小さな祠がたくさんあった。
館跡では今も発掘調査をしているようだ。
建物の跡の上には強化ガラスが敷かれ、自由に歩くことができる。
上から遺跡を見ることができ、ガラス2枚が畳1枚分になっており、規模を実感できる。
山側から見下ろすと建物の規模を実感できる。
更に高いところから見下ろす。左中央付近の木の茂っているところが唐門だ。
谷と言っても実に広い平地であることがわかる。
湯殿跡庭園。館の背後の高台にある。
現在は枯池だが、戦国期は池に水がたたえられていた。
上から見下ろすと堀と土塁の様子が良くわかる。
中の御殿跡。朝倉義景の実母光徳院の屋敷跡である。
朝倉家初代孝景の墓所だ。保存のためとはいえコンクリの中で見学できないのは残念。
諏訪館跡庭園。諏訪館は朝倉義景の妻小少将が居住した建物。
一乗谷で最も大きな庭園だ。今でも豪華さが実感できる。
遠くに復原町並みが見える。
発掘調査で見つかった建物の礎石をそのまま使い、出土品に基づいて忠実に再現したという。
目に見える形での再現はうれしいものである。
復元町並の中へ入る。昔の町家の雰囲気が良くわかる。
実際に再現された町並を見ることができるのはありがたい。
遺跡から想像を膨らませるのも難しいものだ。
この辺りは武家屋敷のようだ。土塀を巡らし町家とは違うのがわかる。
上級武家屋敷跡に夢舞台が作られている。
無料で自由に発表会などができるようだ。
広い敷地と背後に迫る森、点在する木々等この景色に感動する。
トイレも再現されている。一乗谷で日本で初めてトイレが確認されたという。
ちなみに朝倉館跡ではトイレは見つかっていないという。
中級武家屋敷が再現されていた。
人形まで飾られていてリアルである。
和傘スカイ。SNS用の映える飾りか?
一乗谷の華やかさと優美さを表しているという。
今時こういうものも必要なのでしょうね。
休憩所に町並みのジオラマが飾ってあった。
全体を視覚的に認識でき、より理解を深められる。
小学校の遠足であろうか?こんなところに遠足できるなんて羨ましい。
いつも来ている子供たちにとっては当たり前の景色かもしれないが。
森に囲まれた広い空間に木々が点在する。
中央は県道が通り、車で走っていると気づかずに通り過ぎてしまうかもしれない。
この落ち着いた空間が実に気に入った。
何もないが何かが存在する、そんな気がした。
一乗谷朝倉氏遺跡博物館である。
立派な施設だ。2階の窓ガラスの奥に朝倉館が再現されている。
建物内に原寸大の朝倉館が再現されている。
実に豪華だ。
再現された建物はリアルで、ここを見てから遺跡を見るとより理解が深まるかもしれない。
あそこで見た花壇はこんなだったのかと実感する。
池庭である。
館内に造られた庭園で、社会的に地位の高いもののみに作ることが許されたようだ。
7年越しの念願がかない、一乗谷を訪問できた。実に良いところであった。
旅行の写真はまだ続くが、次回はアジサイの写真を紹介できればと思う。