日光東照宮
(2018/2/14撮影)
平成の大修理は現在もまだ続いているが、あの陽明門がよみがえったと聞き是非見たいと思っていた。しかし神橋付近はいつでも大渋滞、ゆっくり見られる環境ではなかった。春節前のこの時季ならば比較的お客さんも少ないと思い、撮影を決意した。予想は的中、やや日差しが強く撮影には不向きではあったが、ゆっくり見学できその美しさを存分に味わうことができた。今回はやや枚数も多いが、その美しい様を是非ご覧下さい。

奥に東照宮の表門が見える。
石鳥居の前の石段は上に行くほど狭くなっており、
遠近法で奥行きを強調する造りになっている。

表門前の五重塔もこんなに色彩豊かだったのだ。

表門を入ると石畳が続く。石の配置が人々を自然に左側に導くという。

下神庫。右下の人物は音声ガイドのレンタルをしている。

中神庫。上中下合わせて三神庫(さんじんこ)といい、
千人武者行列で使われる馬具や装束類が収められている。

上神庫。屋根下には想像の象(狩野探幽下絵)の彫刻がほどこされている。

神厩舎、ご神馬をつなぐ厩だ。猿の彫刻が8面あり、人間の一生が風刺されている。

中でも有名なのが「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿だ。
神厩舎は質素な建物だが、この猿の彫刻は極めて豪華で美しい。

内番所。しっかり商売をしている。

御神馬の蹄鉄まで売るとは恐れ入りました。

御水舎、こんなに豪華なものは見たことがない。

輪蔵天海版の一切経を収めた建物、経蔵ともいう。
こちらはまだ修理が行われていないようだ。

陽明門前右側にある鐘楼。

左側にある鼓楼。家光の廟所大猷院と同じ配置だ。

国宝陽明門。日暮の門ともいう。
鳥、花、生き物、人物など500以上の彫刻がほどこされている。
屋根のひさしまでの高さ1に対し、全体の高さが1.618の黄金比になっている。
家光が建てたときは茶色であったが、14代将軍家茂が神聖な色「白」に塗り替えたという。

最上部には東照大権現(家康)の表示。
その両脇は霊獣「麒麟」がほどこされている。
麒麟は徳のある王者が現れ平和が実現するとき姿を見せるという。

たくさんの龍や唐子が彫られている。
2段目の龍は「息」、白い龍は蹄を持つ龍馬だ。

すべての彫刻が実に色鮮やかだ。
漆を塗った上に金箔を貼り、その上に絵の具を載せていく「生彩色(ごくさいしき)」という手法だ。

唐獅子は口を開けたものと閉じたものが交互に並ぶ、「あうん」という形式だ。

金具はすべて金箔で覆われている。
漆は、塗師佐藤則武によって塗られたものか。

雨樋の金具まで金箔で覆われている。
屋根は銅瓦葺きで黒漆が塗られている。

中国の故事にある童子、唐子、仙人を描くことで平和の象徴にしたという。
政治家は髪を洗っているときでも民の訴えを聞くという、家光の決意だそうだ。

門の内部の天井は龍が描かれている。

内部から陽明門を写す。高さ11m、屋根の幅12m、実に豪華だ。

門の内側左側の獅子。

右側の獅子。あうんの形式だ。

龍馬をアップで写す。すごい迫力だ。

門の両脇の面にはきれいな花が描かれている。

唐門。柱には唐木の寄木細工で昇龍・降龍の彫刻がある。
この奥が本殿だ。本殿は見学できたが撮影禁止であった。

唐門に続く塀と思われるところも実にきれいだ。
ここは修理直後に一度見たことがある。

Before。

After。

神輿舎(しんよしゃ)。春秋渡御祭に使われる3基の神輿が納められている。
神輿も金箔で覆われている。

左甚五郎作「眠り猫」。実に鮮やかである。
肝腎の爪が見られないのが残念。

奥宮に通じる建物内に描かれている。
暗いので携帯やスマホでは撮影が大変であろう。

坂下門。この門を潜り約200段の階段を上がると奥宮だ。

奥宮の脇には絵馬が奉納されていた。
戌年ではあるが、ここはもちろん眠り猫である。

奥宮、拝殿である。将軍でないと昇段参拝は許されなかったという。
重厚な雰囲気で気が引き締まる。

拝殿は建物全体が銅板で包まれており、その上に黒漆がぬられている。

鋳抜(いぬき)門。1650年椎名伊豫作。
唐銅で屋根・柱・壁などを鋳造し、それを組み立てたものである。
荘厳な雰囲気だ。

御宝塔。御祭神家康公の神柩がおさめてある。
5代将軍綱吉公のとき、現在の唐銅製に改鋳された。

御宝塔の脇にある叶杉。樹齢約600年。
杉の木のほこらも神様にしてしまう。

本地堂、鳴龍である。1636年建造であるが、昭和36年火災により焼失。
現在の建物はその後再建されたものだ。
小学校のとき焼失した話を聞き、クラスで一人だけ見学していた者がいて、
いずれ再建されたら必ず見たいと思っていた。
今回は2度目の見学である。
東照宮内の唯一の寺院、堂内は撮影禁止であった。

東照宮から外に出て、日光二荒山神社である。
昔は初詣にも良く来たものだ。

神楽殿。大国像は、大国神輿として足尾の皆様が奉製したものだそうだ。

「良い縁狛犬」として平成27年に奉納されたものだ。
何やら願い事が書かれたリボンが多数結ばれていた。

こんなものまで置かれていた。
神社も随分変わってきたものだ。

私はこういうものの方が興味がある。
つい撮りたくなってしまう。

神橋ではこんな大会も開かれるそうだ。
神橋をシンバシと呼んでいた若い女性もいた。
世の中の変化になかなかついて行けない。

最後に神橋を載せておこう。
何度も見ている割と質素な橋だが、大谷川との絵はいつ見てもさまになる。
美しくよみがえった東照宮の数々の建物にはいろいろな歴史がある。
今回は改めてそれらを知ることもでき、実に良かった。
平成の大修理が完全に終わったら、また行ってみたいと思う。
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